はじめまして。韓国語を勉強して(中略)就活で50社落ちて(中略)長時間労働で疲れ果て(中略)韓日映像翻訳者になった、ゆっくりゆかしです。
こちらのサイトでは翻訳、韓国語などのテーマと、世の中の役に立つか立たないか分からない情報をゆっくり発信していきます。言語化が苦手な韓日映像翻訳者の練習日記に付き合っていただけますと幸いです。
- 名前:ゆっくりゆかし
- 生年月日:1986年7月
- 職業:映像翻訳者(韓国語→日本語)2016年~現在
韓国語との出会い
なぜ韓国語?
発端は高校生の頃に聞いた卒業生の話です。
当時の日韓関係は良好とは言えず、ニュースでも反日感情などについてよく報じられていたことを覚えています。
そんな中で、卒業生が「韓国で頑張っている」という話を聞き、「せっかく隣の国なんだから、仲良くできたらいいな」「自分も何かできないかな」
そんなことを考えたのがきっかけとなりました。
K-POPとかじゃなくて?
当時は冬ソナブームが到来したかどうかくらいの時期だったかなぁ…
大学生になって韓国語デビュー!
そんな縁から大学は韓国語専攻に進み、一から韓国語を勉強し始めました。
新しい文字、新しい発音、新しい文法(文法は日本語に似てるけど)…
毎日が新鮮で、毎日がワクワクでした!
新しい言葉を学ぶって面白い!
RPGで言えばニューゲームで冒険に出た瞬間!
3年生の時に1年間だけ留学し、帰国後は「韓国と関係のある仕事ができたらいいな~」という漠然とした思いを抱いて就職活動を始めました。
就活で50社落ちた“陰キャ”なポンコツ大学生
実は自分のことを言葉にするのが猛烈に下手な、“陽キャ”の皮をかぶった“陰キャ”な人間です。
もともと自己肯定感が低く、振り返っては嫌な思い出ばかりがよみがえるため、自分を正視することが苦手でした。
中学の時には「自分史をまとめよう!」とかいう宿題を出されたことがあり、あまりの苦しさに親に丸投げした記憶があります。(確か特大の4コマ漫画を描いて乗り切ったような…)
どちらかというと私は右脳派で(本当か?)、脳内の情報を言葉でアウトプットする機能はとことんポンコツでした。
韓国語だって“言葉”じゃないの?
言葉を学ぶのと、内面を言葉にするのとは違うのよ…
いろいろなアドバイスを参考に試行錯誤するも、企業からは“お祈りメール”を頂いて家に引きこもる日が続きました。
「韓国と関係のある仕事ができたら~」なんていうのはぜいたくな話で、「とにかく採用してください」と祈る気持ちでした。
単に準備不足だっただけでは?
それは必ずしも否定できない
就職して得たものと失ったもの
祝入社!仕事でスキルアップ
絶望的な就職活動の中で、奇跡的にかみ合った不動産系の企業から内定をもらって一命を(?)取り留めました。
文章を書くのは苦手でしたが、なぜか文書発信の多い部署へ。
文章をいかに簡潔に書けるか、専門的な内容をいかに平易にかみ砕けるか、という戦いに明け暮れました。
書いた文章は上司にガッツリ赤を入れられ、「こういう本を読むといいよ」と紹介された本も参考に試行錯誤…。
おかげで文章の読みやすさに気を配れるようになり、文章力は“ポンコツ”から“アマチュア”くらいにレベルアップしました。
ポンコツを指導してくれた上司は本当に大変だったと思う
過労でボロボロ
でも働き方は思っていたよりもハードでした。
通常時でも22時前に帰宅できることは少なく、繁忙期には深夜にタクシーで帰り、3時間くらい寝たと思ったら再び出社するという過酷なスケジュールが続き、心も体も疲れ果てていきました。
気付いたらロッカールームで気絶していたり、体調不良で救急車で運ばれたり、家に帰る途中「何のために働いてるんだろう」と涙がポロポロ出たり…限界ギリギリでした。
真面目な人間ほど追い込まれやすいとか
実は根っからのウルトラ真面目人間なもんで
いろいろ考えた末、自分にとって最善の道を模索すべく、満4年で退職しました。
「夢をかなえる」人生第二章の始まり
通訳翻訳スクールの門をたたく
実は高校生の頃から「通訳ってカッコいい!」「言葉をつなぐ仕事がしたい」とひそかに夢を抱き続けていました。
退職して自由の身となった私は「夢をかなえるなら今しかない!」と一念発起し、通訳翻訳スクールへ。
報道資料などの日⇔韓の通訳・翻訳や、関連情報のリサーチ、発音、日本語の語彙力の広げ方、勉強方法などなど…
授業で聞く話は毎回とても新鮮で、刺激的で、学びも多く、大変貴重な経験でした。
「それ、日本のニュースでは何て言ってる?」「普段から身の回りの言葉を意識して聞こう」などなど…身になる話がたくさんありました
“お話になりません”
充実感があった反面、「そんな語学力じゃ、とてもじゃないけどお話になりません」という現実を毎回突き付けられました。(※あくまでも個人の感想です。みんな優しいのでそんなことは言いません)
授業が終わると脇汗びちょびちょ、落ち込みまくりさ…
当時の韓国語能力試験(TOPIK)で6級を持っていましたが、実力的にはまだまだ不十分。
通訳や翻訳のスキル以前に、総合的な語学力の底上げが必要だと痛感し、満1年通ったスクールを休校。
次の進路を悩んでいた時に、たまたま某映像翻訳会社でアルバイト求人情報を見つけ、「働きながら勉強を続けたい」と思い、恐る恐る履歴書を送りました。
出直し出直し!
知識ゼロ、経験ゼロから始める映像翻訳者生活
何これ?!おもしろっ!
私は映像翻訳の知識も経験もない“ド素人”でしたが、心が広い社長のおかげで無事に採用してもらえました。
字幕の基本的なルールや、セリフを切り出す作業、字幕制作ソフトの操作方法など、どれもこれも知らないことばかり。
見よう見まねで実務を学びました。
最初はちんぷんかんぷんでしたが、いざやってみると「何これ?!おもしろっ!」と衝撃を受けました。
セリフの切り出し方一つで、テンポや面白さが変わる!
テレビの編集者や演出家みたい!
制限字数内で日本語を考えるなんて
パズルみたい!
などなど、とてもワクワクしたことを覚えています。
全然聞き取れなくてクビを覚悟
それと同時に、セリフが全然聞き取れなくて冷や汗をかき続けました…
「台本があれば何とかなるはず!」と思っていましたが、バラエティー番組などには台本がないことがほとんど。
スラングも新語も飛び交い、辞書で探しても見つからない言葉も次々と…
…というか、そもそも力不足で言い回し自体を知らなくて聞き取れなかったり…(恥)
社長からは「聞き取れない部分はネイティブの人にチェックしてもらうから、メモしておいて」と言われましたが、メモした箇所が一つや二つではなかったため、「このままではクビになるかも…」と毎回肝を冷やしました。
とても勉強になりましたが、本当に焦りました…
それでも、おおらかな社長のおかげでどうにかクビを切られずにすみ、耳も少しずつ慣れていきました。
回を重ねるごとに知識も増え、調べ方もうまくなり、聞き取りも幾分上達しましたが、今なおネイティブの方にはとてもお世話になっています。いつも本当にありがとうございます。
フリーランス翻訳者の産休・育休と保育園
フリーランス翻訳者の産休・育休は受け入れられるのか
入社して半年ほどたった頃に妊娠が分かり、在宅で働けるようアルバイトからフリーランスの在宅勤務に切り替わりました。
「出産予定日の前後で産休・育休としてしばらく休みたい」と相談したところ社長は快諾。
私以外にも、産休・育休で休んでから復帰した先輩がいることも教えてくれて、心強かったです。
ただし復帰については「復帰時にタイミング良く仕事が入ればあげられるけど、確約はできない」とのことでした。
社長にはOKをもらえたし、あとは復帰する時に考えようっと
(※ちなみにフリーランスは休業中の報酬や育児休業給付金などはもらえません…)
復帰の絶対条件 “子供を保育園に預ける”
おかげさまで母子共に健康で出産を乗り越えましたが、シビアなのは“保育園に預けられるのか”という問題。
ひとまず子供を抱えて役所に行き、説明を聞きながら「うーん」と頭を抱えました。
個人的に、頭がパンクしそうになった要因はこちらです。
こうした情報を早くから知っていれば対策できることもありますが(いわゆる保活)、その対策にも限界があります。
うちは最終的に無事入園できましたが、入園できたのは運が良かったとしか言いようがありません。
育休・産休からスムーズに仕事復帰できなければ、「語学力も落ちるし勘も鈍るし…」と別の道を模索し始めたかもしれません。
運と縁の流れに身を任せて生きています…
働きながら映像翻訳スクールの講座を受ける
復帰後は「もっといい訳を作りたい」という向上心を持って仕事に打ち込むようになりました。
そして翻訳仲間と情報共有をしていくうちに「映像翻訳をちゃんと学びたい」と思うようになり、仕事をしながら映像翻訳スクールの通信講座を受けることに。
いざ受けてみると「そうだったのか」という発見もあり、何よりも、日々の翻訳で気になっていたことを、これでもか!と先生に質問しまくることができ、課題の添削をしっかり受けられたことで、すっきり!
“ド素人”から“初段”くらいまで一気にレベルアップできた気がします。(先生!ありがとうございます!)
その後は学んだことをベースに、さらに真剣に作品に向き合えるようになりました。
うおおおお頑張るぞおおお
経験を重ねながら分かってきたこと
自分の短所も意外と役に立っている
私はすごーく繊細なタイプです。何か一つ言われると「ああかもしれない」「こうかもしれない」といろいろな可能性を考えて勝手にくよくよと心を痛め、「ああ私はダメなんだ」とドロドロとした沼に沈んでいきます。
「そんなこと気にしなければいいのに」とよく言われますが、そんなふうに生きられたらどんなに楽か、と自己嫌悪の闇に飲まれていきます。
そんな私は言葉にも敏感気味…「この言い方は何か裏があるのかもしれない」「こういう言葉を使うと少しとげを感じるから別の言葉がいいのに」などなど、常日頃からうじうじと悩む思考回路が翻訳にも役に立っていることを時折感じています。
翻訳のおかげで「自分の短所も役に立つこともあるんだなぁ」と、最近になって少し開き直ることができました。
ありがたい SNSと 良き先輩
最初は孤独に翻訳していましたが、SNSを始めると翻訳界わいの先輩方・仲間とたくさんつながることができました。
一人では決して知り得ない有益な情報を共有させてもらうことができるうえに、優しい方が多く、日々励まされています。
自分の世界を広めるためには今の世に不可欠なツールなのだと遅まきながら知ることができました。
使い方次第ですが、うその情報や危ない情報にだまされないための情報収集ツールとしても有効です。
温かく見守ってくださる先輩方に心から感謝しつつ、精進していきたいと思っています。
最後に ~このブログを見る時は~
翻訳業界の中ではひよっこにもならない程度のピヨピヨ翻訳者ですが、謙虚に勉強を続け、自分のペースで進んでいきたいと思っています。
その一つとして、勉強したことをまとめたり、日々のことを言語化したりしてアウトプットしながら、自分を正視(※上記ポンコツ大学生参照)できたらと思い、こちらのブログを始めました。
サイト作りも初めてで不慣れなため、更新や反応が遅いこともあると思いますが、温かく見守っていただけますと幸いです。
気の向いた時にご訪問くださいますと励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みくださりありがとうございました!